酒井研治 写真 フォトグラファー

写真を撮るということ
写真はあくまで、撮影者の/被写体の、プリントという形として残る"思い出"の延長にあるものでしょう。 モデルになる人や風景、街などは、その瞬間、撮影者の思い通りに切り取られ、形付けられます。 撮影者はフィルムとして形付けられた思い出を持ち帰り、大事に保管したり、人に見せたり飾ったりするわけです。

写真を観るということ
そして私達は、写真に感動します。
自分が撮りためた写真を見ることによって思い出を感じ、写真に反省し、自分以外のだれかが撮った写真を見て学び、心を動かされます。 技術的なことを置いておくとすると、絵として残る思い出と、その思い出に詰まった感情を感じているわけです。 ある人の旅の思い出や、結婚式の風景など、笑顔にあふれている写真を見ればうれしく、つい笑顔になるし、 逆に、報道写真のような形で見る戦争の悲劇を目の当たりにすると、心が痛みます。

撮ること観ることの可能性
例えば世界中の人が"せーの"で目の前の写真を撮ったとします。 ある人はオフィスで仕事中の写真を、ある人は学校での授業中の風景を、ある人はレストランや定食屋での食事の模様を、 ある人はカラオケなどパーティーの写真を、またある人はベッドの上から白い天井の写真を・・・ こういった、日本に暮らす私達が簡単に想像できる「ある瞬間」の裏には、 内戦の戦渦に巻き込まれないように逃げている真っ最中の風景、飢餓に苦しみ将に死んで行こうとしている人を見守っている最中、 そういった瞬間を生きている誰かがきっとどこかにいるでしょう。 この、世界中の人たちが撮った写真を、もう一度"せーの"で隣の人に渡したとします。 さらにもう一度"せーの"で次の人へ、さらにもう一度、、、どんどん回していく。 戦争が起きている不幸な地域の人たちは、世界のどこかにあるHappyな光景を見、 悲惨な目の前の風景と、回ってきた写真とを比べれば、もちろんより平和な世界の方を願うでしょう。 逆に、平和な日本に住む私達の手に回ってきた戦火の光景にきっと私達はこころを痛め、 病に倒れる人や傷つく人たちになんとかして手を差し伸べたいと思う人もいるでしょう。 世界中の人たちが明確に平和を意識すれば、本当に写真が世界を平和にするかもしれません。

1ヵ月後、2ヵ月後、半年後、1年後、  同じように"せーの"で写真を撮って"せーの"で回し続けると、いつか、荒れ果てた街をバックに笑顔にあふれた子供達の写真が回ってくるかもしれません。

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酒井研治の挑戦